昭和61年 | C.I.導入。社名:株式会社田部商店を、株式会社田部に変更。 |
昭和59年 | 損害保険部門を有限会社田部保険サービスとして独立させる。 |
昭和57年 | 本社社屋を新築する。 |
昭和56年 | 建設業(内装・建具工事業)の許可を受け、建築部門へ進出する。 |
昭和47年7月 | 株式会社吾北生コン(資本金3,000万円)を設立し、吾北地区にて生コンクリートの製造・販売を開始する。 |
昭和45年 | 資本金を1,000万円に増資する。 |
昭和44年 | 輸送部門を株式会社田部海運に、肥料・ビニール部門を田部化工株式会社に分離それぞれ独立させる。 |
昭和40年 | 松下電工株式会社の代理店となり、ナショナル建材品の販売を開始する。 |
昭和40年 | 岩井産業株式会社(現・双日)の代理店となり土木、建築資材の販売を開始する。 |
昭和40年 | サンウェーブ工業株式会社の代理店となり高知県下一円の販売を開始する。 |
昭和37年 | 八幡化学工業株式会社(現・新日本製鉄化学工業)の特約代理店として新日鐵高炉セメントの販売を開始する。 |
昭和33年 | 資本金500万円に増資、本店を高知市若松町に移転、従来の本店は須崎営業所として営業継続し土木建築資材の販売業務を拡張する。 |
昭和26年10月 | 高知市宝永町に高知営業所を開設、高知中央部進出の基盤とす。 |
昭和26年4月 | 個人企業を資本金100万円で株式会社田部商店と改組し本社を須崎市に置く。 |
昭和25年 | 日本セメント株式会社土佐工場のセメント輸送専属回漕店となる。 |
昭和21年 | 田部慶喜が復員し、田部商店店主となる。 |
明治40年 | 土佐セメント合資会社と骨材の取引を始め、当社がセメントの販売、及び輸送に専従する端緒となった。 |
明治36年3月 | 田部商店、初代店主 田部丑太郎が高知県須崎市において骨材の生産販売及び土木請負業を始める。 |